【ヨガ界の歌姫デヴァプレマール】のコンサートへ!
ついにアントワープまでヨガ界の奇跡の歌姫と言われているデヴァプレマールミテンのコンサートにAntwerpまて行ってきました。
最初はマッサージを学ぶのみであったデヴァプレマールがなぜあそこまで成功したのか、その全ストーリーも英語から日本語へ初翻訳を試みました。まだデヴァプレマールとミテンのとってもスピリチュアルで運命的な二人の出会いのストーリーは日本語では紹介されていないので、ぜひ読んでみてください。
人生のアドバイスになるメッセージがたくさんつまっています。
デヴァプレマールといえばヨガ界では言わずと知れた有名なサンスクリット語のマントラシンガーですが、彼女はドイツ人。そして彼女のパートナーはイギリス人のミテン。彼女のコンサートは世界中を含めてヨーロッパでもよく開かれます。
私もデヴァプレマールの美しい歌声が好きです。2007年に台湾で彼女の曲を始めて聞いてから今でもときどき聞いています。
そしてついにアントワープまでヨガ界の奇跡の歌姫と言われているデヴァプレマールミテンのコンサートに行ってきました。
コンサート当日。 到着すると想像していたよりもずっと大きい会場でした。そして驚いたのはコンサート会場の中に入っていくと、Deva Premalのコンサートに来た人たちの年齢層が思ったよりもはるかに高かったことです。
Miten、彼女のパートナーが、「僕たちのコンサートの観衆は若いヨガ好きの人か、ヒッピーばかりだと思うだろ?それが、結構違うんだ。僕たちの音楽は様々な人たちから受け入れられているんだよ。」とコンサート中に言っていた通り、コンサート会場はイメージしていた雰囲気とは異なり若い人たちは少なく、むしろ50、60代が圧倒的に多くて、けっこうラグジュアリーな感じの人たちが多かったです。
Deva Premal & MitenのコンサートはOMのチャンティングから始まり、私たちは目を静かに閉じてOMを唱えると、会場にとても神聖なヴァイブレーションが流れました。
最初の曲は私の大好きなGate Gateではじまり、All is welcome hereに続きました。私の大好きな二曲。
ネパール人ののバンスリフルート奏者Manose(マノース)のフルートの音も素晴らしく、彼は裸足に白のコットンシャツという感じのシンプルな服装で演奏していました。
一曲の演奏が終わるごとに私たちが拍手をすると、Deva Premalは、一曲ごとに拍手をしなくていいのよ、むしろ演奏の後、静かにマントラのヴァイブレーションを感じてほしいの。と私たちに伝えました。
コンサートは夜8時に始まり、9時半の20分程のインターバルのあと、遅くても夜11時までの予定が11時半まで続きました。
前半はDeva Premalが中心でしたが、後半はMitenを中心に彼のパフォーマンスがメインにもされていました。
彼の歌声は想像以上に素晴らしく、穏やかで、優しい、Deva Premalに劣らない素晴らしいヒーリングボイスの持ち主でした。
そして、彼はとても気さくな感じでユーモアのあふれるトークで会場を笑わせていました。
そんなMitenですが、彼は今年の4月に大きな心臓手術僕をしたとコンサートで告白していました。
「僕が驚いたのは回復の速さだよ、僕のドクターも信じられないよ、こんなにも早く回復しているなんて、いったいなぜなんだい?」だと僕に聞くんだ、だからこう答えた、「たくさんの人が僕の無事を祈ってくれた、それがパワーとなったんだよ、ドクター。信じられないなら、僕のフェイスブックページをみてみて、すごいメッセージさ(笑)」と冗談ぽく言っていました。
【ここから二人の人生のアドバイスが詰まったラブストーリーが始まります。】
以下の翻訳は二人のオフィシャルウェブサイトから日本語訳にしたものです。日本人では私がおそらく初の日本語の翻訳をしています(笑)。
Deva Premal & Mitenの二人のラブストーリーですが、一目瞭然のように二人には二十歳の年の差があります。
彼らのウェブサイトを読んでみると、Deva Premal が二十歳の頃、 Mitenに出会ったときは彼はすでに四十歳!
二人はインドのOSHOのアシュラムで出会い、二人は惹かれあいます。
妻、子供、そしてサクセスフルミュージシャンとしてイギリスで活躍していた Mitenは、セックス、ドラッグ、ロックンロールライフスタイルを満喫していました。しかし、次第に彼の音楽製作は成功すればするぼどお金儲けの何物でもない、そんなビジネスの世界に何年もいるうちに自分の人生の意味を見出せなくなってしまい、だんだんと彼の家族、そして自分のそんな人生からも遠ざかっていくようになり、彼はついに人生のブレイクダウンをしてしまいます。それを彼はスピリチュアルブレイクダウンと記してあります。
そして自分を立て直す唯一の方法は自分が今までで知っているもの、ことすべてから立ち去ることだったと言います。
Finding his soul- 自分のソウルを探し求めるためにインドへ
Mitenはその後イギリスを離れ、インドのアシュラムで自分のアイデンティティー、”ミュージシャンとしての自分”から自分を解放します。そこでMitenはOSHOのアシュラムで学びながら、シンプルなヒューマンライフを取り戻していきます。そしていままで直視したことのなかった自分を見つめ直し、インドのアシュラムの生活の中で生まれてはじめて自分の中の内なる強さを感じます。そこからMitenはふたたび彼の音楽のルーツに触れることにします。
ただし、いままでとは違う地点からー
その当時彼はスピリチュアルブレイクダウンの二十九歳からすでに四十歳になっていました。
そして、運命の時はやってきます。
OSHOのアシュラムを訪れていた当時まだ二十歳で、指圧マッサージなどを学んでいたボディーワークプラクティショナーのDeva PremalにMitenは出会います。
デヴァとミテンインドでの出会い
その当時、指圧マッサージや、リフレクソロジーなどのボディワークをOSHOアシュラムで学んでいたDeva PremalにMitenは出会います。インドのスピリチュアルの教えを信じていたアーティストの両親のもとで育ったDeva Premalは音楽とマントラと共に育ちますが、実はMitenに出会うまでDeva Premalは自分の人生を歓迎してはいませんでした。
Deva Premal が自分のヒーリングボイスを見つけるまでの道
Devaの母親は音楽の先生で、ピアノ、ハープシコードを教えていたり、地元の教会の合唱団を率いていました。そして彼女の父はDevaが生まれたときにはミドルイーストのドラムに従事していたビジュアルアーティストでした。 さらにzen(禅)スピリチュアリティと東洋の哲学の教えを信じていた彼女の両親は彼女の生まれるずっと前からサンスクリット語でチャンティングのプラクティスを(マントラを唱えたり、歌うこと)を日課としていました。
Devaが彼女の母のお腹の中にいたころ、彼女の父はガヤトリーマントラをおなかの中にいる彼女に毎日チャンティングしていました。
しかしながら、彼女はコミュティーを通して音楽を共に生み出していくいうことを楽しんでいた為、オーケストラと合唱団に没頭してきます。 そんな中でDevaが成長していく段階で唯一一つだけ両親に共感できることがありました。
それは母のOSHOの教えの発見でした。
17歳の時に人生の呼びかけ”calling”を感じとったDevaは学校を17歳で辞め、禅の教えだけでなく、サンスクリット語のマントラ、スフィスダンス、ネィテブアメリカンダンス、アフリカンドラムなど、神聖な芸術表現に溢れている場所に自分自身を置くためにインドに移ります。
それがOSHOのアシュラムでした。 マントラをアシュラム生活の公式な部分として教えていなかったOSHOでしたが、OSHOはアシュラムにいた人すべてにどのような形式や伝統であっても、愛、平和、一体感、思いやりのユニークな表現を共有することを奨励していました。
Mitenはそのころ神聖な歌を歌うことによって、そのOSHOの教えに貢献していました。
彼の愛の歌への貢献は周りからとても受け入れられ、愛され、彼はまもなく世界の何千ものOSHOを愛する人たちにその歌を届けるために旅をすることになります。
アシュラムで出会った二人は最初、Devaはあくまでも彼のサポートするために歌います。彼とハーモナイズしたり、彼の音楽を支えているだけでした。
Deva自身こう言っています。
私は人々の前で歌うことに自信がないと思っていたわ、 恥ずかしいと思っていたの。
そんな彼女にイギリスでのOSHOミュージックフェスティバルで転機が訪れます。
デヴァとミテンの二人の音楽が生まれるまでのストーリー
【DevaのOSHOミュージックフェスティバルでの人生の転機の訪れ 】
人前で歌うことに自信がなかった彼女に転機が訪れます。
OSHOミュージックフェスティバルで、誰かがガヤトリーマントラを歌っているのを聞いたDevaは 彼女の幼年時以来初めて、心込めて彼女の中の一番大きな声で心からガヤトリーマントラを一緒に歌い始めます。
Devaはそれはガヤトリーマントラが彼女を陰から光り輝く人生へ導いてくれる第2の”Calling"として感じられたと言っています。
彼女の幼年時代の宝に目覚めたDevaは、彼女のインドの友人たちにマントラの教えを請います。
そしてMitenはチャンティングを使った音楽を生み出すためにハーモニック・メロディーを製作しはじめ、Devaがそれをリードして歌い始めました。
それは300,000枚のCDを売り上げるほどでした。
これが、二人のDeva Premal & Miten の歌声は生まれたストーリー。
17歳で自分の運命を感じ、学校を去りインドへ渡ったDeva Premal と自分を探す為に29歳ですべてから離れ、インドへ渡ったMiten。
あるインタビューでMitenは、彼の人生についてさらに深く語っています。
僕が若いころ人生の真の目的を見つけるため真の人生のファーストステップを踏み出したころ、僕はリスク、チャレンジの人生を選んだんだ、と語ります。 ミテンは自分の人生の変化を周りは喜ばしく思わないかもしれない、自分はおかしな奴だと呼ばれるかもしれないと思った。と言います。
“なぜなら僕が若かった70年代のころは、スピリチュアリティーは西洋で簡単に見つけられなかったよ、西洋ではみんなお金儲けに集中していた、悲しいけどそれが現実だったんだ、だから僕はインドへ行かなければならなかった、今みたいにグーグルでグルの教えを簡単にビデオで見れなかったよ!”と。
“ 今はどんな情報だって溢れている、自由に自分の人生を選択できる、だから、みんなに言いたい、 ノーエクスキューズだよ。
Take a step, 踏み出すんだ。
変化をただ求めたいと言っているだけではだめなんだ、僕の時だってそうだった、僕が踏み出したときは大きな変化だったよ、周りから変な奴だと思われようとも、僕はみずからリスクを背負って自分のスピリチュアルジャーニーを探し求めにしに行ったんだ。周りにどう見られようと。
だから、いつか自分に素敵な人生の変化が訪れるのを待ってていても何も起こらない、 みずからそれを探し求めに行くまでは。
僕がDevaに出会い、二人の関係を深めるにもリスクが必要だった、なぜかって、彼女はまだたった一人でインドに来ていた若い子だった。
そして僕がいた世界は典型的な西洋社会はどうやって人生で成功するか、どうやって常に人生でテイクするか、スピリチュアリティさえ、マントラを歌うことによって得られることは何かって、瞑想したらどんな得が人生にあるかって、そういう風にとらえる世界だった。
でもそうじゃない、わかるかい?
人は何をGiveー与えられるかっていうことだよ。
自分のハートを開いたなら君の本当の人生ははじまる。
僕たちはいつわりの人生、自分の心の声に背いた人生を送っている時間はないんだ。自分のハートが求めている人生を君は生きるべきなんだよ、それが今僕のやっていることのすべてさ。
そしてrelationshipsについて僕が男として一つ言えること、一番の大切なことの一つはお互いの人生の旅をリスペクトすること。
僕はそれを彼女に会うまではわかっていなかった。
若いDevaにアシュラムで出会い、僕は彼女がシンガーになるまでサポートして、応援し続けた。そして僕たちはスターになるために、歌っているわけではないんだ。
スローダウンして、立ち止まること。
そして自分のピースを見つけること。
そして、真実、フレッシュでいつづけること。
27年たった後でも僕たちはとってもフレッシュなんだ。僕にとって、Devaは世界で一番素敵なシンガーで、そしてDevaにとってまだ僕は一番ハンサムな男だよ、そうだよね、Deva?
といって笑いあう二人。
そしてMitenからの皆へ最後のメッセージ。
それはTake a risk!
∴Devaからのメッセージ∴
あなたは何にコネクションを感じる?ダンス?自然の中を歩くこと?それとも、何かしら? 人生を楽しむためにあなたがコネクションを感じることを見つけて、と言っています。
そして、立ち止まって、深呼吸をして自分のたった一度の人生で本当に求めていることを見つけるために。
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