【日々の中で】マルシェでの素敵なこと
最近は、すっかり寒くなってしまいましたね。
でも秋晴れの空が何とも言えないぐらい素敵でワクワクします。
さて、週末はうちでディーナーをしようとなり、
私は得意の本場インド料理を友人達に振舞うことにしました。
毎週水曜日はマルシェでお買い物をするのですが、
たまねぎがまだ必要だったので、
スーパーではなく、家のすぐそばの普段は行かないマルシェにいくことにしました。
午後に入っていたので、もうマルシェの人たちは片付けに入っていました。
唯一、2件ほどお店がまだ空いていたので、
「すみません、大きい玉ねぎ、一つだけいただけますか。」
と聞くと、「紫のと普通のどちらだい?」
と聞かれたので、「紫玉ねぎを。」
というと、
「はい。どうぞ、これはプレゼントだよ。お金はいらないよ。
マダム、素敵な一日を!」
と言って、私の手のひらにちょうど収まるくらいの玉ねぎを笑顔でのせてくれたのです!
スーパーに行ったら、誰とも話さないで買い物を終えることができます。
半年前まであった、何列かのレジが、2列以外は全て機械化されてしまった。
そしてスーパーに行ったらこんなことはないでしょう。
でもマルシェにいけば、どんな人が野菜を育てているか顔が分かるし、必ずボンジュール!から入って会話をします。
私はそのマルシェでのペイフォーワードのおかげでいただいた玉ねぎに感謝の気持ちを一杯込めて料理をしました。
誰かが与えてくれたその素敵なひとときのおかげで、幸せな気分になった私は、そのもらった幸せをまた他人にあげることができる。
今はマスク社会になってから、人々の目だけがギョロギョロ動いていて、人の感情が読み取りにくくなっている。
どこを見ても目だけ。
よく考えると恐ろしい社会。
人々の美しい笑顔がマスクの下に隠れてしまっている。
今の社会は政府が、国民の生活や行動を管理するニューノーマル社会というものが確立されつつある。
私たちはその社会を受け入れ始めている。
だが、必死で世界の国民を守るために自分の身を危険にさらしてまで、戦い続けているドイツ国際弁護士ライナーフュルミッヒ氏の努力や、次々と闇に葬られていく世界の署名人たちの努力を私たちは無駄にしてしまっていいのだろうか。
自分の立場のために?社会から外れないために?自分のセキュリティーのために?
ライナーフュルミッヒ氏は言っていた。
今、あなたに必要なのはソーシャルインテリジェンスだと。
一本の木をただ眺めるのでなく、メディアに惑わされず、物事を様々な角度からみることが大切だということ。
私はその彼のメッセージをしっかりと受け止めたい。
あたたかい社会をつくるのは政府ではなく、国民ひとり、ひとりだとまだわたしは信じているから。
私たちの住む社会がすでにコミュニズムや全体主義になっていない限り。
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